タイガーマスクに憧れた船木誠勝が格闘技路線に進んだ理由とは?

   

先日、大仁田厚との電流爆破マッチを敢行した船木誠勝

この電流爆破には賛否両論、非常に物議を醸す部分があったかと思います。

あの船木誠勝が大仁田とデスマッチ路線だなんて…

といったところですね。

船木誠勝と言えばヒクソン・グレイシーとも対戦したことのある、『ガチンコ』な格闘家という側面もあったと思います。

15才で新日本プロレスに入門、史上最年少でプロレスデビュー、その後はUWF、パンクラスと格闘技路線で活躍し、そしてヒクソン戦に敗れたリングで引退表明。

そこからは役者をするなどしていましたがしばらくしてプロレス復帰。現在に至ります。

思うに、現在のプロレスラーとしての活動が彼にとっては一番向いているんじゃないかな、というのが私の意見です。

そもそも、船木誠勝は初代タイガーマスクに憧れてプロレスの世界にやってきた男です。つまり、あのアクロバティックな技やマスクマンというギミックがやりたかったわけです。

実際、ドイツ遠征中にはマスクマンに転身しようとしていたらしいですからね。日本から虎ではなく龍のマスクを持ち込んで試合に出ようとしたら、現地のプロモーターに『黒髪の日本人じゃないと意味ないんだけど』とあっさり却下され、そのまま素顔で戦うことに。

その時、山田恵一(後のライガー)に不要になったマスクを進呈したことから事態は変わります。なんと、山田は浅井嘉浩にその龍のマスクを渡してしまい、そのまま浅井はウルティモ・ドラゴンとして世に出ることになったという。

で、

船木がタイガーマスクを諦めたというわけではなくてですね、何故サブミッション主体の格闘技路線に彼が傾注していったかというと、その理由は新日本の道場で行われているセメントの練習にあります。

セメントとは、具体的には関節の取り合いです。稽古で、ひたすら関節を取り合う練習、スパーリングを新日本の道場でやってたんですよ、当時。

見た目は地味なんですけど、相手を確実に仕留めるのが関節技です。実は、試合ではそんなに出てこない技の応酬なんですね。

それに参加した入門当初の船木少年はショックを受けます。なんだ、この痛いのは!!と。

同期入門は闘魂三銃士です。橋本真也、武藤敬司、蝶野正洋。特に武藤は柔道の猛者で、最初からこのセメントが上手かったので先輩レスラーからも一目置かれていたようです。

この時、船木は思います。これを覚えないと強くなれないんだ、プロレスラーになれないんだ、と。

そこから、華麗なアクロバット技ではなく、地味なサブミッションを見つけていったというわけですね。

で、このセメントって、新日本は多めに練習していたみたいですけど、同時期の全日本では、そういう練習はほとんどしてなかったみたいですね。ここに、両者のスタイルの違いがありますね。

新日本プロレスって、猪木みたいなカリスマに始まって藤原、前田、高田、船木といった技術力の高いレスラーがいて、佐山聡みたいなアイドルもいて、越中みたいな影のある孤高のレスラーもいて、と、バリエーションがとにかく豊富でしたね、当時は。

 - 星野コテツ的プロレス論